クレアートが大切にしていること

クレアートのコンセプト

私がクレアートの社長の、思い出を形にするジュエリーなんでもアドバイザーの依田耕児(よだこうじ)です。

ジュエリーオリジナルデザインの企画・製造と、全国小売店・専門店および宝石卸商社への卸売、さらにクレアート店舗ショールームでの小売販売を行っています。

特に宝石さんごの分野では、私の祖父が(明治大正から昭和の初期の頃から)、中国の翡翠との交易を行いながら業界の第一人者であったこともあり、宝石さんごの魅力を現代と将来に亙って引き継ぐ役割を私自身も自覚しながら現在に至っています。(私の祖父の昭和13年読売新聞掲載記事をご参照ください)

そうなるとクレアートは歴史的にも、さんご専門ショップかと思われる方もいらっしゃると思いますが、製造メーカーとしてのノウハウを生かして、さんご以外の製品も取り揃えております。
特に店頭の小売業においてはむしろ、地金のネックレス、パール製品、ブライダル関係などさんご製品以外の商品のほうに重点を置き製造・販売を行っております。

さて、そんな私ですが、最初から宝石業界にいたわけではありません。
大学を卒業後、日本アイビーエムというコンピューター会社に4年間勤務し、そこで徹底的に叩き込まれたのがコンピューターを売るのではなく、コンピューターを導入することの「解決策」を売るのだ、他の会社のコンピューターではなくなぜIBMがその会社にとってメリットがあるのか、を明確にすることでした。
IBM社内ではこれを共通用語として一言で、「WHY IBM?」と口癖の合言葉のように言ってました。たぶん今も言っていると思います。

その後、父が病気したのをきっかけにIBMを退社し、家業のクレアートを手伝うことになったのですが、私は既に頭が前の会社の「WHY IBM?」に洗脳されていましたので、今度は「WHY CREART?」を自分自身に問いかけはじめました。
つまり、お客様にとって宝石とはどんな意味があるのか?お客様にとってクレアートで物を買う意味は何か? 自分は仕事を通じてお客様の人生にどう貢献できるのか? このクレアートを手伝いだした2年後、父が61歳で他界して以来、そんな問いかけを続ける旅が始まったのでした。私はそのときちょうど28歳でした。
それから20年の間、その問いへの答えを求めながらいろいろな人生経験をしてきました。例えば、

20代の終わりにイタリアへ1年間弱、遊学する機会があって宝石ばかりではなく、ヨーロッパ中の絵や美術品、舞台や芸術活動などを多く見学してきました。
ローマの語学学校では様々な人種がいて楽しかったこと、特にオペラ歌手の卵だった今は有名になった韓国のバリトン歌手と親友でした。
また、パリでフランス語学校に通っていたころはちょうどユーゴスラビアの内戦時でパリに避難してきたクロアチアの若者たちが同じクラスにいて戦争の話を多くした思い出が深く印象的です。

地域のボランティア活動も好きで、地元調布出身ということもあり、調布青年会議所に入会し、地域活動のノウハウを学びました。
調布に東京スタジアム(現:味の素スタジアム)ができるというので、地元にとって競技場をただ利用されるだけの空洞化したホームタウンになることだけは避けたいと思い、市民みんなが応援したくなるような仕組みを考え、JリーグFC東京を迎えやすい環境創りを行政と協働で実践しました。また、2002年のサッカーW杯では首都東京が開催会場になっていなかったので、せめて出場国の練習キャンプ地会場として調布市に立候補してもらうために、調布・三鷹・府中3市で市民の署名を3ヶ月で5000人分を集め、調布市に正式にキャンプ地として手を挙げてもらいました。結局、調布には出場国のサウディアラビア王国が来てくれました。
また、縁あって、子どもが通う地元の小学校ではPTA会長を務め、自分の娘の卒業式の日その壇上で祝辞のスピーチをしたことは忘れられません。
その在任中、父親同志のネットワーク組織を新しく作り、子どもが小学校を卒業した現在も父親同志のその熱く硬い絆で子どもたちが安心安全に暮らせる地域づくりを目指しています。

仕事では、しかし、取り込み詐欺にあった挫折もありました。
2004年、お台場で開かれる卸業者向けの見本市会場(業界ではIJTと言っています)で、そのIJTにブース出展していた私に商談を持ち掛けた初老の紳士風の人の会社を後日訪問し、取引を始めることになりその会社を信用して自社商品10,000千円分を預けて1ヶ月後、銀座のど真ん中にあったその会社に突然ドロンされたのでした。
その事実が分かったときほど人生で落ち込んだことはありません。
道路を渡ろうとして信号待ちしている交差点のど真ん中で目の前が本当に真っ暗になり、頭を両手で抱えながらうずくまってしばらく立ち上がれなかったこともありました。
やっと最近になって感じるのは、仕事、地域活動、家族家庭、などさまざま人生経験を積んできたことが、今の自分の仕事にすべてつながっているなあ、ということです。

よそにはないオリジナルの商品を作るためには、その発想の点で、物を見る目、独創性が必要です。これはヨーロッパでさまざまな物を見てきた遊学経験がかなり効いていると思います。

絵を描くデザイナー、それを作る職人、粗材を仕入れる取引先の人たちのそれぞれの良さを生かして製品作りに反映させいくには、私のようないわゆるプロデューサーの役割が大切です。
これは、いままで地域活動で人と人とをつなぎ、その人のそれぞれの良さを生かしてまちづくりのコーディネイトをしてきた経験が効いています。
宝石でもいい商品とは、その関わった人たちのすべてがうまく機能した時に誕生するのです。
まわりで動くのはみな人間なので、商品にはその人柄が本当にでるのです。

宝石の「永遠の輝き」とか、「一生もの」だとか、「めったにない、希少です」いう言葉は誰でも簡単に言うことができます。
しかし私は、宝石の永遠性とは、誠実、真実、希望を感じる宝石、つまり人を裏切らない宝石のことだと自分自身に信念をもって言えるのは、あの取り込み詐欺にあった経験が効いているからです。

さて、「WHY CREART」の話に戻します。まず今の私に何ができるのかを考えてみると、

  • 長年にわたり何人ものデザイナーと一緒に仕事をしてきたノウハウ、
  • 粗材を分けてくれる取引先の豊富なネットワーク
  • 石留め、枠の磨き、サイズ直し、など小さなことでも長年経験しないと積み上がらない技術のノウハウ
  • お客様がどうしたいのか、どうすれば喜んでもらえるのか、どう新しい発見があるのかを聞き出す自分自身の人生経験
  • 明治大正時代から受け継ぐ伝統と自分の祖父と父の意思を引き継ぐ三代目としての責任と喜び

こんな感じでしょうか、お客様のために、ひとつひとつにこのすべての誠心誠意を注入することができるのではないかと感じています。
自分のもっている何かが人の役に立つということほど、楽しく、意味のある人生はない、と思っているところです。

では次にクレアートに何のメリットがあるのでしょうか。

宝石やその使い方を新しく提案したり、一緒に考えたりすることで、女性がきらきら輝きだすことがあります。
それは自分自身や将来などに何か気付きや発見があったに違いないからではないでしょうか。
例えば、よくこんな相談を受けます。

「祖母(あるいは亡き母から)からもらった小さな石があるんですが、どの位の価値あるものなんでしょうか?今まであるのも忘れていたんですが・・・。」

「はい、私はこう思うんです。譲り受けたものが残っていて良かったですね。
忘れてしまうほど気軽に場所を取らず、変わらない色、形で譲り受けていくことのできるものって他にありますか?
しかもそれには思い出がある、そしてよく見つめているといろいろな思い出がどんどん溢れてくる。子どもや孫が幸せになってほしいと思わない人間がいますか?
そんな先代の思いや願い、自分自身の思い出がつまったものを、例えば、ペンダントにして普段から身に付ける、指輪に作り変えてその思い出と共にオシャレをも一緒に楽しんでしまう、なんて、素晴らしくないですか?この小さな宝石はあなたにとっての何物にも代えられないお守りですよ。どんな占いや予言、不安や心配も不要です。これはあなたにとって自分だけの本当の宝石ですよ。価値がある、というのはそういうことなんではないでしょうか。宝石の輝きとは、自分自身の過去、現在、未来をつなぐ、一筋の希望の光だと思いますよ。金銭的価値は置いといて、気軽に身に付けてお客様ご自身が内面から輝いて幸せになってほしい、思い出を形にしてあなたに幸せになってほしいんです」・・・・・・・・と。

クレアートはそんな思いから、宝石の使い方楽しみ方をお客様と一緒になって相談にのり、提案できる会社です。
縁あって宝石との出会いがあったすべての人に、それを身に付けることで喜びや幸せをささやかに感じてほしいと心から願っています。
本当の宝石の楽しみ方を一緒に気軽に考えてみませんか。
どうぞお気軽にお電話ください。
私、社長の依田耕児(よだこうじ)が直接電話にでます。
どうぞよろしくお願いいたします。

クレアートの歴史

クレアートは1982年、
株式支社依田忠の起源となる珊瑚をもう一度復活させたいという夢をもって先代の依田和郎が新しく創設。

創業以来変わらず、いつもお客様が満足する質の高いサービスを提供させていただいております。

~ 依田忠治郎(先々代)のはなし ~

■依田忠治郎 明治18年(1885年)~昭和27年(1952年)10月14日没 享年67歳

~ 依田和郎(先代)のはなし ~

「宝石について考える」
  1. 宝石の魅力
  2. 宝石の正しい選び方
  3. 宝石の価値を判断する物差し
  4. 宝石の稀少性と流動性
  5. 宝石を持つことの意義

■依田和郎 昭和6年(1931年)~平成5年(1993年)6月21日没 享年61歳

 

サンゴの話

クレアートの「サンゴ製品」の目的

様々な展示会に立ってサンゴ製品を販売していると、「サンゴは嫌い」、「古くさい」、「服にあわせにくい」、「赤い色をつける年でない」といった、サンゴにあまり良くない印象を持たれているお客さまが多いように感じます。たしかに、帯留め、かんざしなど古くから愛用されてきた「和」の雰囲気や、お土産屋さんで売っている安っぽいさんごのイメージも重なって、現代的な宝飾品としての高級感を持ちにくいのかもしれません。

しかし、この海底の深くから採集される血の色のようなさんごの赤色を見ているとなんとも神秘的で吸い込まれるような雰囲気にさせてくれます。さらにじっと見つめているとなんだかエネルギーを感じ、心の底から(海の底から?)元気がでてくるような気もします。また、ピンク色のさんご製品を見ていると、しだいに心が優しくなり、いつのまにか顔が微笑んでくるのです。

また、サンゴの赤、ピンク、オレンジといった色は、女性にとって大変楽しくお洒落ができるワンポイントになります。赤い服は着ることのできない年輩の方も、例えば血赤色のさんごペンダントを付ければ、お顔だちがはっきりして、健康的で明るく、かつ女性らしい雰囲気が効果的に演出できます。また反対にピンク系の色であれば優しい雰囲気がだせるはずです。年輩の方だからこそ、「さんご 」なんだと、本当にいつも思います。
「古くさい」というのも逆をいえば、古代昔から多くの国や地域で女性の魔よけとして珍重され、愛用されてきたということでもあります。最近では英国王室アン王女がお産をする際に、母親のエリザベス女王が手にさんごを持たせた、という話も有名です。地球上の生命の源は海から生まれてきているというのも、海底深くで何百年もかけて成長してきたさんごを身につけるという事が、生命を生む女性のお守りとして使われる一つの理由でもあります。願いや思いを込めて、譲り受けていく・・・。

さんごの歴史は、人の人生の歴史そのものに例えることもできるのではないでしょうか。

女性にとってこんなに素晴らしいさんごなのに特に日本ではどうして「嫌い」という人が多いんだろう、宝飾の世界であまり地位が高くないのはどうしてでしょう?
実は、クレアートのさんごはこのような素朴な疑問から始まっておりまして、クレアートのさんごで一人でも多くの女性に楽しくお洒落をしていただいて、いつもニコニコ元気でいてもらうことを究極の製品目標にしています。

依田忠治郎(先々代)「さんごの話」

クレアートの「サンゴ製品」の特徴

モダンで使いやすいデザイン

  1. シンプルで使いやすく、飽きのこないデザインです。指輪、装身具などには大きめのさんごを中央に配置し、赤、ピンク、オレンジといったさんごの色で効果的にお洒落できるように作られています。
  2. K18やPTなどの地金も重すぎず、高級感が感じることのできる量をほどよく使用し、服の色とさんごの色がうまくマッチするように組み合わされています。
  3. さんごを芯立て接着することで、現代的なすっきりした製品に仕上がっています。また、裏には必ず地金の座を張って、さんごが直接肌に触れないようになっており、ツヤが無くなりにくい構造になっています。

品質の高い粗材と丁寧な仕上げ

  1. 色、ムラ、キズ、フなどにこだわって素材を選定し、入手の大変難しい品質の高い原木を使用しています。
  2. クレアートのさんごの仕上げは、他のさんご製品と違ってより時間をかけて丁寧に行ない、深い輝きのあるツヤをだしています。さんごの色が一層鮮明に見える仕上げとなっています。
  3. メレーダイヤもカットの大変いい、良く光る一級品を使用しており、さんごの色を引き立たせ、宝飾品としての高級感も演出しています。

お手入れとアフターフォロー

  1. さんごは、汗、ほこりなどを嫌いますので、使用した後はしまう前に宝飾用のお手入れ布なので表面を軽くふき取ってください。指輪などは付けたままの炊事や入浴はなるべく避けてください。
  2. 長く愛用すると丁寧に使用していても表面のツヤがなくなってきます。磨き直しをすれば元のツヤが戻りますので、どうぞお気軽にお店にお持ちください。

フォトギャラリー

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