依田忠治郎 昭和十三年六月十一日 読売新聞掲載

一、 珊瑚は昔地中海に産し伊太利が国産として世界に売り広め東洋には当時支那が珊瑚愛好国として宮中の儀礼に欠くべからざる宝玉となり、官吏儀礼用首飾帽子玉に用い、民間にては之を財産として一人尚数十連の珠玉(翡翠珊瑚ピーシー)を蔵するもの多く之れが我が国に渡来し古渡り珊瑚と称せられ広く珍重せられたのであります。
(一面通貨不安の代物として)

一、 然るに明治初年高知県月灘村の一漁師幸右衛門の一本釣りに懸かり六年頃より漁として開始せられ、以来長崎五島沖・鹿児島県下甑島・台湾基隆近海・小笠原父島・澎湖島の各地に多額を産し、試漁後中止せる漁場は和歌山県熊野沖・鹿児島県大島・沖縄県那覇、宮崎県細島沖にて共に数万円を採取し有望地は南洋各島・小笠原各島・千葉県女良沖、東京府伊豆七島・鹿児島県十島村・台湾高尾より香港沖の広範囲に渡り諺に鰹の生息する所必ず珊瑚ありと申します。

一、 珊瑚虫は八本の足を出し海中の微生物を食し其の排出物と骨格とに依り珊瑚が作られ暖流中に生息します。

一、 之を採るには深海八十尋以上二百五十尋迄の礁上の網を引いて採ります。

明治六年以降毎年最盛時には金二百五十万円、最少額の時には金百五十万円を水揚げしております。(以下問答)

(問) 伊太利珊瑚は今でも採れますか。

(答) 今より数十年前ベスビア大噴火後海底に変化を来し全く採れなくなったといことです。

(問) でも世界中珊瑚は伊太利と云いナポリには大珊瑚が沢山あり特産物として旅行者は買ってくるし、トールデルグレッコには人口五万の大部分が珊瑚の家庭工業者であるというではありませんか。

(答) それは皆我日本の材料に依るのでして伊太利珊瑚の名称で世界に加工販売せられているのは皆日本産なのです。
我国でも今より二十年位前から伊太利産の古物は輸入しません。先年一寸旅行せられた人が日本産のものが伊太利に行き加工して逆輸入せられるのだと云った人がありましたが、それは見違いで品質が違います、我国の業者とてそれほど迂闊ではありません。

(問) ではどちらが品質優良ですか。

(答) 日本産が遙かに豊富でもあり品質優良ですが、なぜ古渡が高価で珍重せられたかと云うと、当時活木と云って育成中のものは全部伊太利・支那に輸出して仕舞い、枯木落木ばかり玉にして内地で用いたからです。

そのわけは当時の用途は玉のみでしたがら活木は木目が粗く落木は稍々黄色を帯び、木地目ねっとりとして古渡玉に似て居たのと価格が安かった為で近来彫刻が出来る様になって見るとずいぶん遺憾な事だと思います。

(問) 其の違う点は。

(答) 伊太利産のものは木が倭少で、太いものがありません。全体が同色です、種類は白はありません。
日本産のものは桃赤白の三種あって桃中のピンク色のものは通称ボケと云って頗(スコブ)る高価です。
桃は全部其中心に白線を持って居ますが本本質は優って居ても之が欠点です。
其最大のものは七貫目に及び宮中に納められて在ります。

(問) 我国の珊瑚の昔の用途は。

(答) 男子用煙草入緒〆玉、印籠の緒〆玉、婦人用は簪(カンザシ)玉、根掛玉に用いられ、之を帯びれば魔除けになるし、また毒害を免れる。万一お茶の中に毒を入れてあれば緒〆玉を其上に翳(カザシ)して有毒なればすぐ割れて仕舞うと云い伝えます。(之は珊瑚は九十パーセント炭酸カルシュームで酸に弱いからだと思います)。
婦人用の方はぬれ羽色の黒髪に薄珊瑚五分玉亀甲足の簪(カンザシ)、色くっきりと白く瓜実顔の富士額と申しますと我が美人の標本です。

(問) 今の用途は。

(答) 主に婦人用でして玉の根掛は需要が減り帯〆用彫刻板とネクレスです。

(問) 彫刻の初まりは。

(答) 世界唯一の珊瑚産出国でありながら加工技術に劣り大部分外国材料のまま売ることを遺憾のことと思い、大正の初め農商務省水産講習所長、故下啓助氏は貝甲象牙彫刻師故浅井寛哉先生を起用し珊瑚彫刻研究科を新設せられましたが、当時全く幼稚でありましたので大正六年松田、原田、鈴木、故高木、依田の各氏協力、日本珊瑚研究会社を起し活木の加工彫刻輸出に邁進せんとして先ず内地に彫刻品を売り広め之に依って研究錬磨し伊太利技術を凌駕せんと苦心惨憺の結果今や、漸く技術の進歩著しく欧米人の容姿彫刻には劣るとも花鳥に於いては彼に優るとも信ぜらるゝに至り前大日本水産会長故伊谷翁を会長とし日本珊瑚会を起し目下広く世界に呼びかけて居ります際に日支事変勃発し事変物品特別税中に珊瑚製品が包含せられ不幸内地産業絶滅となり折角の加工輸出の温床を破壊
せらるゝに至りしこと国策とは云え千古の恨事であります。

此の結果は輸出原料暴落となり角を矯て牛を殺すの損害となりました。然しながらいっそう奮起萬難を排し世界に日本珊瑚の声価を挙げねばなりません。

サンゴの話(下)
依田忠治郎(先々代)のはなし

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